どこへ行こうとしているのだろう、意味を見つけずに。
ただ、知りたいとその方向に歩いていく。
いままでの道と分かれても、また交わっても
私の喜びと情熱のままに、そこを歩けばいい。
なにになろうとしているのだろう、終わりを見つけずに。
ただ、意味もなく、私という体験に向かう。
それはまた十分すぎる意味を持って、私を豊かで自由にする
2011年1月、プロとしてお仕事を始めてから約2年が経っていました。前年は末娘出産一ヶ月後に母を看取り、その後シャーマンとして覚醒。自分を取り戻したような安心感と、がむしゃらにやってきたことからふと立ち止まるような時期でした。有料提供を始めた当初はミクシィで活動していましたが、お仕事を広げるためにもミクシィから外の世界(無料ブログ)に移行して、少しずつ自信を持てるようになってきた頃です。
とにかく毎日ブログを書き、毎月シャーマニックヒーリングの一斉ワークを開催し、やっとお仕事の依頼がコンスタントになり、スーパービジョンを定期的に受けられるようにもなっていました。お金がなくてとても苦しかった時期を乗り越え、ほっとしていました。
当時、故郷の山裾で暮らしながら幼い娘とよく散歩に出かけていました。自然に触れると愛を感じ、心が鎮まっていきます。そんなある日に感じたことを書いた詩です。
私たちは何か自分とは別のものになろうと、追い求めたり、不足を感じたりすることがあります。でも、それが一旦満たされた時、知るのです。ただ自分になりたかっただけだと。
自分とは別の何かや誰かを追い求めても、そこにはなにもなくて、ただ自分がいる。そんな自分でいいのだと、意味を見出さずに、ただ自分をありのままに生きればいいのだと悟るのです。
その時、世界は愛に溢れていて「すべてで感じ、体験すること」を見守ってくれていることに気づきます。
現在も私は苦しんだり喜んだりしながら、今を生きています。久しぶりにこの詩を読んで、『十分すぎる意味を持って、私を豊かで自由にする』という言葉に励まされました。