迷えるものや様々な場所を渡り歩くものを、〇〇ジプシーと比喩表現するらしい。例えば、スピリチュアル業界ではセミナージプシー、ヒーラージプシーなどと称するそうである。
私は、迷っている状態は創造であり進化を求めている状態として、ポジティブに感じる。その感覚からの考えを書いてみたい。
安定・不安定における優劣
まず、ジプシーという言葉を調べると、差別用語となっていることである。そのため、〇〇ジプシーという表現は、暗に優劣を示していると言える。迷えるもの、定まらないものであることが劣っている状態で、そうでない状態が良い状態だという雰囲気を醸し出していると感じる。
なぜ迷っていることよりも定まっていることを良いとするのか。
これは私たちが常に不安定な存在であるゆえに、安定を求めるからではないだろうか。しかし、ずっと安定し続けることは、進化とは真逆の状態であると思う。プレートが動いていることで生き物が存在できる地球において、安定し続けるということは不自然であると思うからだ。
常に不安定ということは、安定の瞬間があるから不安定だと感じるとも言える。一時的な安定は、次に動くために必要なものだと思う。これらのスパンが短ければ、常に定まっていない状態だと認識するのは当然だろう。
渡り歩くには勇気がいる
次に、語源である。
一般的に、Egyptian(エジプシャン)からGypsy(ジプシー)へと変化したとされる。エジプトの少数民族がヨーロッパへ移動し、常に定住しなかった少数民族に対する外名だという。この情報から思い起こしたのは、エジプトから錬金術が始まったという歴史である。古代エジプトでは、神や宇宙との一体感を得るため技として神秘が追求されていた。もし、このEgyptianが錬金術が見直された時代の中世のヨーロッパで、真の錬金術の叡智を携えて移動していたとしたら、どうであろう。そんな想像を掻き立てた。
渡り歩くには勇気がいる。様々な場所に行き、様々な人々と関わり、その土地の情報やエネルギーに触れ、刺激を受けつつ与える。常に変化を求める気持ちがあるから、次の場所に行けるのだと思う。
癒しにおける安定と不安定
では、癒しにおける安定と不安定とは何か。
癒しは、自分の内部から起こるものであり他者に依存するものではない。それゆえ、何かを求めて旅を繰り返す状態を劣っていると感じるのかもしれない。
しかし、たとえ自分で自分を癒すことができる状態を安定として感じても、それが続くことはないと思う。それは、人が進化する存在だからである。安定と不安定をリズミカルに繰り返しながら、自分を変化させていこうとする勇気ある存在が、人間であると思う。
迷える者は常に進化を求める者である
私は、迷える者は常に進化を求める者であると考える。
迷える状態をポジティブに感じる手立てとしては、迷っている状態を自分の一部であると受け止めていくこと、わからないことをわからないままに受け止めていくことだと思う。不安定であると感じる勇気は、自分軸がなければ感じることができないと思うのだ。